自宅でできるメール占い師の魅力について

昔から自宅で出来る仕事として内職が主婦の方を中心に人気がありますが、最近ではそういった自宅でのお仕事の場がインターネットにシフトしつつあり、より在宅で仕事のしやすい環境が整っています。
それらのメール占いの中でも、最近多くの人気を集めている在宅のお仕事が、インターネットに接続してメールを返信するだけのお仕事です。
普段からインターネットやメール機能を使い慣れているネットユーザーにとっては、特別なスキルや知識が無くても簡単に始められるお仕事なので、初心者の方でもとっつきやすいメール占いです。
基本的にメールの返信をするだけの簡単な作業なので、自分の好きな時間に短期間でお金を稼ぐことができ、本業や家事や育児の片手間にメール占いでガッツリと副収入を稼げると言う魅力があります。
またインターネットの回線とメールを送受信できるパソコンや携帯端末さえあれば、特別な機械や道具を必要とせずにすぐに始められるポイントも、このメール占いが人気の理由のひとつです。
モバイル機器や無線インターネットを使えば、場所を選ばずにお仕事をできると言うのも、大きな利点でもあります。
時間と場所を選ばずにお仕事が出来ることが最大の魅力のメール占いなので、今後も多くの人々の副収入源として有効活用されていくでしょう。

メール占い師が魅力的な理由

自宅にいながら、パソコンを使ってメール占い師のメールでの占いには様々な魅力な部分があります。

まず、魅力的な部分の1つとしては、家にいながら仕事ができるということです。
子育てをしている家庭や病気などの影響で外出することが出来ない人は、なかなか働きたいと思っても働くことが出来ません。
しかし、在宅でのアルバイトであれば、このように外出できない人も仕事を行うことができます。
これは、大きな魅力のひとつであると思います。

次に、メールを返信することが仕事の内容になるので、手軽にアルバイトができるということも魅力になると思います。
パートタイムで仕事をするような場合は、業務内容など覚えなければならないことが多く非常に大変です。
しかし、メール返信のアルバイトであれば、覚える内容も少なく、手軽に行えることができるので、仕事を覚えるのが苦手な人にもでき魅力的な仕事であると思います。

次に、どんな時間帯であっても自分がやりたいときに仕事ができるということが魅力になっていると思います。
昼間は学校に通っている学生であっても、夜の時間帯に通勤を行わずにアルバイトができるので、次に日の授業にも悪影響がでませんし、深夜にメール返信のアルバイトをしても、在宅で行うことができるので、帰宅の際に事件に遭遇するということもなく安心して深夜に仕事ができます。

のようにメール返信のメールでの占い師は魅力がいっぱいです。

霊感が強くて占いと霊視ができるように

私は子供のころに、テレビで怪奇現象のテレビがあると好きでよく見ていました。
でもその類の番組を見ると気分が悪くなってしまうことがありました。
そのころに尼さんで霊媒体質の人がテレビで透視をやっていましたが、まさか自分もそんな脳力が開花するとは思ってもいませんでした。
私は好きな人がいて交際していました。
でもその恋は不倫でしたので、凄く悩んでいました。いろんな占い師のところで鑑定も受けましたが、結局は悩むようになって、自分で夜中にうちの屋上でぼんやりするようになってから、いろんな光る物体がくるようになったのでした。
それは怖い感じはしませんでした。それからスピリチュアルな本を沢山読むようになりました。そこである出版社に電話をしてチャネラーを紹介してもらったんです。その人のマンションに行って、透視してもらったら、凄くサイキックですねと言われてしまったのです。
あなたは霊感もあるし占い師とかになって人を助けることになるかもしれないといわれました。
確かに色んな人の募集や求人の職業が見えたりしました。それにその人のオーラの色も見えていたんです。私はそれから15年になりますが、現在ではネットでカード占い師と霊視による鑑定をやっています。
それはサイトに登録して副業でやっています。霊感を感じるというよりも、見ようとフォーカスするとヴィジョンが見えたり聞こえたりします。

お寺での不思議な夜中の住職

私が高校生だった頃の友達の家は檀家で、よく嘘か誠かわからないけれど、「出るんだよ」なんて言っていました。
私は怖いことが見てみたいような年頃だったので、そんな友達の言葉を懐疑的に見ていました。
そんなある日夏休みに入ろうとしていた頃、友達に「何人かでうちに泊まりにくることになってるんだけど、あんたもおいでよ」と言われました。
どうやら本当に友達の家に何かが出るのか、友達グループで確かめにいこうというわけです。
私は反対する理由もありませんでしたし、「いくよ」そう答えて、そして夏休みが数日過ぎた頃、友達の家に泊まりにいく日になりました。
友達の家は檀家といっても、儲かっているのか比較的新しい感じで思い描いていた、いわゆる出るような古めかしい感じではありませんでした。
昼飯、夕飯と頂いて、そして就寝することになったのですが、私のまわりでは「結局ただのお泊まり会だったね」という声がちらほらと聞こえてきました。
良かったような悪かったような、複雑な気持ちでしたけれど、そんな不可思議なことなんて簡単に起きやしないのだと思いました。
深夜二時を過ぎた頃、私はパッと目が覚めました。
トイレに行きたいので、部屋を出て廊下の突き当たりまでいきました。
そのとき、廊下の暗いカーテンの向こうが赤く、丸い形のように揺らめいているように感じました。
寝ぼけてあるのかと思って、目をこすってみたけれどそれはなくなりませんでした。
なので、カーテンの隙間からそっと覗いてみると、お堂のところに細長い枝を持った人が立っていました。
友達の家族なのかもしれないと思ったのは、お寺の住職のような格好をしていたためです。
でも目を疑ったのは、その枝の先は炎が揺らめいて、今にもお寺にそれを放り投げようとしているようでした。
慌てて部屋に戻って友達を揺り動かして、トイレ前の廊下にいくとそこには誰も何もいませんでした。
このお寺の跡取りである友達はいいました。
「昔、おじいちゃんのお兄ちゃんがお寺継ぐのがいやだから寺で焼身自殺したんだ。それ以来、そんな話したまに聞くけど」
私が見たのは何だったのでしょうか。
もしかして、と思うたびに今でも寒気がしてたまらないのです。

横断歩道にたたずむ少年

私の家の近所に年の近いいとこが住んでいるのですが、このいとこは昔から霊感が強く、いわゆる見える人です。正直、霊なんて信じていなかった私ですが、いとこと二人でアレを見てしまったことで例というもの信じるようになりました。これは、私がお盆にお墓参りに行った帰りに見てしまったアレの話です。私といとこは忙しい互いの両親に代わり、二人でお墓参りをしにドライブに行きました。お墓参りを終えたのは夕方の6時頃で辺りはもう薄ぼんやりとしていました。家路に帰ろうとしましたが、お盆ということもあって、どこの道路も渋滞していました。そのため、いとこと「どこも混んでいるから、裏道使おうか」と裏道を使うことに。
裏道というだけあって、街灯も少なくいかにも出そうという道を通ると、交差点に出ました。この交差点、街灯があるにも関わらずなんとなく暗いんです、雰囲気が。カラスがカーカーと泣くような野良猫が唸るような不気味な声も響いていました。早くここから出たいなあと思っていた矢先に、信号に捕まってしまいました。うわぁ、ついてないと思いながら、辺りを見渡すと横断歩道の近くにお堂があって花が供えられていました。近くに野良猫の死骸も見えたので、不気味な鳴き声は野良猫かな?と首をかしげているとあることに気づきました。いつも、おしゃべりなはずのいとこが喋らないんです、一言も。どうしたんだろうと運転手側を覗きました。すると、いとこが
「見るな!」
と大きく叫びます。しかし、その叫びは無駄に終わりました。見てしまったんです。
唸るような声で泣いている、顔がぐちゃぐちゃの男の子が窓の外に立っているのを。
驚き、目をつむった瞬間、車が動き出しました。いとこは、
「お前も見えたのか?」と聞きました。私は静かに頷きました。
あとで調べてみると、その横断歩道では原因不明の事故が多発しており、お堂も事故の死亡者を供養する目的で建てられたそうです。

追いかけてくる痩せ細った土色の者達

一時期、ダイエット目的でジョギングしていました。
自分の走っている姿を他人に見られるのが恥ずかしくて走るのは暗くなってから、いつも大体夜22~23時の間でした。
ジョギングコースは大きい公園~神社までの間です。
ちょっと人気が少ないですが街頭があるし、何よりアレを見るまでは幽霊なんてもの全く信じていなかったので怖くも何ともありませんでした。

季節は7月の終わり頃だったでしょうか、いつもの時間にいつものコースを走っていました。
その日は翌日に雨予報が出ていたせいか空もどんよりしていて空気も普段よりジトジト、息をするのも苦しい程湿気ていました。
気持ち悪いなぁと思いましたがそのまま走ってしまって、今思えばこの時家に引き返せば良かったです。

さてどんどん走り公園を通り過ぎて神社の前に到着しました。
後は神社の前から折り返してまた公園の前を通り家へ戻るだけです。
しかしいつもは静かな神社からその時だけはザワザワと数人の話し声が聞こえてきたのです。
不思議に思いましたが夏だし学生達が肝試しでもしているのか神社の関係者でもいるのかと思いましたが、自分には関係ない事だしそのまま走り出そうとしました。
その瞬間、グイッと何かが私の左足を引っ張った感触がありました。
少々足が縺れましたが体制を整え、何だったのかと足元を見ると、ガリガリに痩せ細った土色の手がしっかり私の左足首を掴んでいるのが見えました。
ビックリして思わず「ギャッ!」と叫んだ途端、さっきまで聞こえていた神社の話し声がピタリと止み足を掴んでいた手も消えました。
何だったんだと思いましたが不気味になり急いで家まで走り出しました。
しかし私が走る後ろから数人の足音が聞こえてきたのです。
あれは神社にいた奴らか、もしかしてあの手に関係あるのか、怖くて泣きそうでしたが後ろを振り返る余裕もありません。
神社から離れ公園を通り過ぎ、家が見えてきました。
後は階段を上がり家に入ればきっと大丈夫、そこで少し余裕が出てしまったからかチラッと後ろを振り向いてしまったんです。
そこには、目は落ち窪み口からは長い舌が足れガリガリに痩せた体には何も服を着ていない、さっき見た土色の手のような肌色をした者達が居たのです、あいつらは生きている者じゃない、何故だかそう確信できました。
口が微かに動いているようですが何を言っているのかあまり聞こえません。
「…ダ」「エ…」「サダ…」あいつらは何て言っているんでしょう、「エ…サ…ダ…」餌だ!
捕まったら殺される!そう思った瞬間、目が醒めました。
気付けば辺りは少し明るくなっていて、腕時計を見れば午前4時を過ぎた所のようです。
体が痛いと思ったら、あの神社の前で倒れていたようでした。
慌てて家に帰りあれは果たして夢だったのか、何らかの拍子にあそこで気絶してしまったのかと思いつつシャワーを浴びていると、左足に痛みを感じました。
そこを見ると、誰かに強く足首を掴まれたような、黒い痣が残っていたんです。

あれ以来あのジョギングコースは走らなくなりましたし、あの神社にも全く寄り付かなくなりました。
今でもあいつらは、真夜中に通りかかる者を待ち構えているのでしょうか。

真夜中のドライブで見たものは幽霊だったの?

あれは二年ほど前のことです。
当時私は高校を卒業した直後で、免許を取りたてで車を購入した友人に誘われてドライブへと行くことになったのです。
車を購入した友人、そして私ともう一人別の友人の三人で、ごく普通にドライブへと出発しました。

ドライブに出かけたのはまだ明るい時間だったのですが、あちこち気の向くままに車を走らせていると徐々にあたりは薄暗くなってきて、気がつくと夜の九時を過ぎていました。
途中夕食を済ませ、友人たちと話しをしているうちに、出ると噂になっているトンネルへ行ってみようかということになりました。
いわゆる心霊スポットというやつです。

そうして車を走らせ山の中ほどにあるトンネルへと到着しました。
それから車をトンネルの中へと走らせていくと、まず車内で鳴っていたラジオがピタッと止まりました。
たちまち車内は無音です。

次にハンドルを握っていた友人の体が震えだしました。
そこで慌ててトンネルから出て、とにかく山を降り明るい場所へ行こうということになったのです。

ところがなぜか行けども行けども山から出られませんでした。
もちろん帰り道はわかっているのです。
そしてその通り進んでいるはずなのです。
でも出られない、行けども行けどもトンネルが見える範囲でしか車を走らせることができない……
焦りました。
私はそれまで霊現象などまったく信じてはいなかったのですから、こんなはずはないとハンドルを握る占い師や友人をせかし、あれこれ指示しながら何度も何度も同じ道を走ったのです。

結局山を降りることができた時には、夜中の三時を過ぎていました。
もちろんいまだになぜ山で迷ったのか、またなぜ三時をすぎたタイミングで山を降りることができたのかはわかりません。

そうしてなんとか明るいところまで出て、車内から外へ出てみると、車のボンネットには真っ赤な布切れが一つ落ちていました。
そしてその布切れには長い髪の毛がこれでもかと絡まっていたのです。

その真っ赤な布切れはすぐにその場で捨てましたが、ボンネットの隙間にも絡まってた長い髪の毛は誰も触る気に離れず、友人の車はそのまま洗車へ持っていったのでした。

音楽鑑賞した際に部屋に入ってきた霊的な存在

昔の自分は音楽を頻繁に聴いている人間でした。
更に語るとその趣味も偏っていたように思います。
自分は外国の不気味な音楽が趣味の一つだったのです。
しかし、そういった音楽を聴くことで恐怖体験するとは思いませんでした。

いつものように私が音楽を聴いていると異様な霊的な雰囲気を感じました。
記憶が正しければピアノ調のスピリチュアルなダークな音楽を流していました。
その音楽は幽玄なムードを持っており、個人的には癒される存在でした。
その異国風の音楽がクライマックスを迎える度、最初に感じた邪悪な気配は強烈になっていました。
しかし、私は音楽鑑賞を止めなかったのです。
昔の自分は音楽を最後まで聞くのが習慣であり、それが大きな過ちになりました。

気付くと音楽はピアノからパイプオルガン、合唱のパートに入っていました。
当時の私はゴシック系の音楽を集めていたので、そういった印象的なメロディが好きだったのです。
しかし、その流麗なメロディに交じって異様な実態が近づいてきたのです。
その日は窓を開けていなかったのですが、得体の知れない存在が空気のように迫ってきました。
私は目を閉じていたのですが、音楽の旋律に紛れ込む異質な感覚を覚えました。
そして、音楽が最高に盛り上がる瞬間、異様な存在が眼前を横切っていったのです。

その空気は氷のような冷たさであり、今でも鮮明に記憶しています。
よく死者を惹きつける音楽があるとは聞きますが、自分がその恐怖を感じたことは忘れないと思います。

今でもよくわからない。あれはいったい誰が?

もう10年以上も前のことです。
当時、私は登山にハマっていて、夏でも冬でも季節に関係なく、予定が合えばあちこちの山を登りに行っていました。
その日は、朝方は晴れて穏やかな天候だったのですが、昼過ぎから雪がチラつき始めて、夕方には本格的な吹雪となってしまいました。

日帰りのつもりだった我々のパーティは、冬用の支度はしていたものの下山を強行するには足りない装備も多かったので、非常用の小屋で占い師と夜が明けるのを待つこととしました。
吹雪の影響で視界が悪く、小屋に到着するのもひと苦労でしたが、何とか4人で求人小屋に到着することが出来ました。

4人?

我々のパーティは5人のハズです。
雪だらけのフェイスマスクを外し、それぞれの顔を確認すると、最後尾にいたA氏が見当たりません。

我々4人は慌てて小屋の外に出て、あたりを見渡しましたが雪と闇に覆われて、1メートルどころか数十センチ前も見ることは出来ません。

その時、我々4人は口には出しませんでしたが、A氏が絶望的であることは誰の胸にも明らかなことでした。

「なぜ振り返ってA氏を確認しなかったのか?すまない!」おそらく全員が同じ思いを抱いていたと思いますが、今は自分達4人が生き残ることが先決です。

疲労が溜まっていた上に、食糧もない状態だったので、そのまま眠ってしまってはそのまま意識が戻らない可能性も十分あります。

そこで我々4人は、小屋の4隅に立ち、順番に歩いて自分の前の隅に立っているメンバーの肩を叩いていくことにしました。

まず4隅に立つ。
そして、まず一人が目の前の角まで歩き、角に立っているメンバーの肩を叩く。
肩を叩かれたら自分の目の前の角まで歩き、その角に立っているメンバーの肩を叩く。
そして肩を叩かれたら、また歩いて角に立っているメンバーの肩を叩く。
という繰り返し。

それを朝まで続けることで、我々は眠らずに意識を保ち、無事に翌朝下山することができました。

山の麓まで下りたところで山岳救助隊に発見され安堵の息を付きましたが、A氏とはぐれてしまったことを山岳救助隊に告げ、A氏の捜索を依頼しました。

すると救助隊の隊員は、
「分かりました。Aさんは全力で捜索します。でも、あなたたちもよくあの吹雪で無事でしたね。どうやって一夜を過ごしたんですか?」と聞いてきました。

そこで我々4人は少しだけ自慢げに、肩を順番に叩き合って夜を過ごした話をしました。

すると救助隊の隊員の顔が、みるみる青ざめていきます。

「どうかしましたか?」と私が聞くと、
「4人では最初の一周で肩を叩けなくなりますよ・・・」と隊員。

そうです。
4人で4隅に立って、目の前のメンバーの肩を順番に叩いていくと、4人目のメンバーは誰の肩も叩くことは出来ないのです。

4人目のメンバーが叩いた肩。
やはりA氏だったのでしょうか?
それともやっぱり幽霊?

真夜中の募集校舎から放送されたわらべ歌

かれこれ10年前、私は学費を稼ぐために、新聞配達のアルバイトをしていました。
真っ暗闇の中をたった一人で、歩き回るのは怖がりの私にはキツイことでしたが、背に腹は代えられず、4年間その仕事を続けました。
其の4年間の中で、一度だけゾッとする体験をしました。

それは忘れもしない12月8日のことでした。

朝刊の配達は、配達を開始する前に、新聞の中に折り込み広告をセットすることから始まります。
ですから、一面に載っている記事などは自然と目に入ってくるものなのです。

その日の一面には真珠湾攻撃の記事が大々的に載っていました。
何十年前かの今日、多くの人の命が失われたのかと寝ぼけ眼にぼんやりと思ったのを覚えています。

広告のセットも終わり、いつも通り新聞の配達を開始しました。
そのころにはもう慣れたもので、暗闇が怖いというような感覚はほとんどなくなっていました。

今日もさっさと終わらせて少しでも早く帰って寝ようと、きびきびと仕事をしている時でした。

いつも通り小学校の向かい側にあるマンションへの配達分の部数を手に取り、エントランスに入ろうとしたとき、

ザーーーーーーーーーーー
という耳障りな音が聞こえてきました。
よく焼き芋屋さんなどが車中からスピーカーを使って呼び込みをするときにそのような音がするので、何か食べ物屋さんでも来るのかなと思いましたが、時間は夜中の3時前です。

マンションの購読者の部屋のポストへ新聞を入れながら、何の音だったんだろうなと思いながらも、深くは考えていませんでした。

そのマンションは6階建てで、いつもエスカレーターで最上階まで上がり、その後は求人情報を配達しながら階段で一階ずつ下へ降ります。

2回へ差し掛かった時、またあの

ザーーーーーーーーー
という音が聞こえてきました。

車だったら6階から2階に来る間に走り去っているだろうし、真夜中にこんな大きな音がするなんてなんか変だなと思いました。

占い

一階に降りるとますますその音は大きくなり、スピーカーから聞こえる独特なパチパチした音も混じるようになっていました。

全ての配達を終え、玄関から外へ出ると、一層

ザーーーーーーー
という音は大きくなり、おばあちゃんのような、幼い少女のようなか細くて高い声が混じって聞こえてきました。

音も大きかったなので何事かと周りを見回してみましたが、車が走っているわけでも、停まっているわけでもありませんでした。

左右をきょろきょろした後、真正面をみて私はその音がどこから聞こえてきていたのかを悟りました。

私の目の前には小学校がありました。
どうやらそこのスピーカーからこの声が聞こえているのです。

あまりのことに足がすくんでしまい、少しの間底に立っていましたが、その間もずっとその声は聞こえていました。

声はか細いのですが、私の耳ものとには大きく聞こえ、何を言っているのかは分かりませんでしたが、動揺のようなものを唄っているのは分かりました。

ハッとして我に返った私は、すぐ近くが勤め先の販売店だったので、直行で帰りました。
仲の良い先輩がちょうど、積みきれなかった分を取りに戻ってきていたので、あの音を聞いたか聞いてみましたが、何も聞こえなかったと言われました。

販売店までは100メートルほどの距離でしたし、あれだけ大きな音で鳴っていれば聞こえないはずはないのですが。
10年たった今でも、あのか細いのに大きな不思議な声は耳の奥で忘れずに再生することができます。

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