予言能力について

終末の予言者

世の中には「予言」という言葉があります。
予言とは、超能力者が未来の出来事を言い当てるような、神秘的な意味に取られますが、では辞書には何と書いてあるか、改めて確認してみます。
『大辞林』によれば予言とは、「未来の出来事や未知の事柄をあらかじめいうこと。また,その言葉」とあります。
『大辞泉』によれば『新古今和歌集』には「思ひいでよ誰が兼ね言の末ならむ昨日の雲のあとの山風」という歌が紹介されています。ここに用いられた「兼ね言」は予言と同じ意味であり、日本では昔から、予言が世の中に浸透しており、信じられてきた様子を窺い知れます。
『旧約聖書』でも、預言者が神の言葉を民衆に伝え、「これから何か災厄が起こるだろう」みたいな、未来を予言する記述も見られます。
中東でも日本でも、予言は将来を知るための指標のひとつとされたのですが、予言が当たることもあれば外れることもあります。外れた場合には「神に許された」と解釈するのが昔の旧約聖書の世界の信心深い人々だったようです。
現代の日本ならば「予言を外した」ことが、非難の対象になるのは間違いないところですが。

予言は神秘主義的な要素に満ちているかに見えますが、実は自然や科学の分野にあっても、予言は人間社会の身近なところに氾濫しています。
例えば天気予報というのも、未来を予測して人々に伝えるから、予言と言い換えることもできます。
湯川秀樹氏が、日本人で初めてノーベル物理学賞を受賞した理由も、予言にありました。湯川氏は、素粒子物理学における中間子という原子より小さな粒子の存在を予言し、その予言通りに中間子が発見されたことで、求人情報でノーベル賞を受賞したのです。

予言と占い

オカルト的な予言として最も世に知られているのは「ノストラダムスの大予言」であると思います。1980年代より以前に生まれた人ならば、ノストラダムスの「1999年7月、恐怖のアンゴルモアの大王が降りてきて地上が統治されるだろう」というふうな予言を知っているかもしれません。1999年当時、人類が滅亡するとか言われ、メディアを通じて大変に盛り上がっていたのです。
しかしこの予言は普通に見て「外れた」から、それ以来ノストラダムスの信用は失墜し、誰もノストラダムスを語らなくなってしまいました
近年になってから、ノストラダムスの予言は外れていなかったという見方も出てきています。しかし「具体的な結果」を求めた民衆にとってすれば、ノストラダムスの大予言は1999年に全く結果を出せなかったので、まがい物として見られるところに落ち着いているようです。それにしても果たして1999年の恐怖の大王の正体とは何だったのか、もしそれが現れているのだとすれば気になります。

世界には予言者として知られる人が大勢いましたが、国内で注目すべき予言者として、募集した歴史の授業で誰もが知ってる聖徳太子(厩戸皇子)がいました。その聖徳太子は『日本書紀』で「兼知未然(未来を知ることができる」と記録されています。
聖徳太子の記した『未来記』には、「聖徳太子の死後200年が経過して都が1000年栄えると黒い龍が来て、都は東にうつされる」という予言があります。
これは、平安京の繁栄、幕末の黒船襲来、東京遷都を明確に予言していたと言えます。
聖徳太子はさらに「それから200年後、末世の地獄の漆黒の鬼「クハンダ」が現れ、東の都はバラバラになる」というような予言をしています。東京遷都は1868年のことで、それから200年後といえば、2068年。
ほんとうに今世紀は、聖徳太子の予言した「クハンダによる日本破壊」の世紀であるとしたら、ちょっと恐ろしくて、防災グッズは購入しておきたいと思う次第です。